サヨナラ宮内列伝!

2016年07月27日

こんにちは!
オカザキです。

お楽しみ頂いていた”宮内列伝”ですが、
姉妹ケンカが勃発しそうなので、
今日は「宮内さん、これはすごい!」というお話で、
最後を締めくくりたいと思います。

ネタは沢山あるのになぁ…。

姉は昔から、(わりと)何でも
できる子供でした。

エレクトーンを習えば、
高校生になる頃には師範級、
※飽きたので、師範になる前に
 辞めました…。

ピアノを習えば、
先生に絶賛され、後継ぎに誘われる。
※練習がめんどくさいので
 辞めました…。

高校生から始めた、
バイオリンさえも大学生の頃には、
京都女子大の
コンサートマスター?になるほどの腕前です。

もちろん、姉が習い事を変える度に
私の涙があるわけですが…。

そんなプチお嬢様のふりをして育った姉ですが、
大学2年生の時に
もう一人の姉と二人暮らしを始め、
急にはじけだしました。

持ち前の冒険心で国内だけではなく、
海外にも行っていました。

もちろん、姉が海外に行くたびに
また、私の涙があるわけですが…。

その海外旅行の集大成が、
大学4年の時でした…。

家に姉のお友達から電話が入ります。

「カオリちゃんのお友達ですが、
 今日、学校の掲示板に○○の授業の
 最後の論文の枚数が足りず、
 単位がとれないので、留年になるから、
 急いで論文を再提出しなさいって…」

母が電話を取ったのですが、
顔面蒼白です。

私も子供を持ってみて初めてわかりますが、
ホントに大学って高いんですよね。

当時は、宮内と私が大学生で、
真ん中の姉は一歩先に短大を卒業していました。

お母さんも、
もう少しで楽になると思っていたのに、
留年という言葉を聞いて
動揺したのでしょう…。

電話を切ってすぐに、狂ったように

「あんた、早く岡本かのこ全集を
 買って論文を書いて!」

「かおりのふりして大学行って、論文を
 何枚書くか確認して、
 いつまでか調べて!」

と矢継ぎ早に命令します。

大学生とはいえ、国文科ではない私に
わかるわけがありません。

とりあえず、本屋に向かうことに。

しかし、ネットも何もない時代、
岡本かの子なんてどこにも見つかりません。

店員さんに調べてもらっても
”ありません”と
言われるだけでした…。

家に帰ると、その間も姉の友達から
何件も電話があったみたいで、
夕方には一番仲の良いお友達から
電話がありました。

「かおりちゃん、ヨーロッパにいくって
 いってたけど、実は…
 シベリア鉄道に乗るって…。

 論文も枚数が足りないだけなので、
 残りの枚数を出せばいいみたいです。」

その言葉に母は、
ドラマのように卒倒しそうでした。

20年前のシベリア鉄道です。
女子大生が1人で行くなんて考えれません。

それまでも、
アフリカやドイツにも行っていましたが、

シベリア鉄道?

論文の枚数がたりない?

なんで必要な論文の枚数を確認しないの?

どこから考えれば良いかわからず、
さすがの私も呆然とします。

今度は、卒業よりも安否確認です。
携帯も無い時代です。

その日は夕飯を作る気力もなく
途方に暮れ、泣き崩れる
母の姿がありました…。

そんな日本での私たちのドタバタ劇を
知らずに、のんきなものです…。

まぁ、姉も本当の事をいったら、
反対されるのでウソをついて言ったのでしょうが…。

何でも、友達2人でシベリア鉄道の端と
端からのって、中間地点で落ち合う約束で、
万が一のためにもう一人の友達を伝言役にしていたようで…。

鉄道に乗る前に、たまたま伝言役の
お友達に電話をかけ、
自分の現状を知り、お金もないのに、
海外から、ゼミの先生に
あわてて、電話をしたようです。

先生がたまたま優しく、
口頭試問という形で単位をくれたらしく、
本人は
「大丈夫、留年は無くなった」
との伝言のみで
シベリア鉄道に乗り込みました。

どういうことはわからず、家族には
伝言のみでした…。

まぁ、無事に帰ってきたから今があるし、
今だって日本全国津々浦々出張にいく
行動力もあるんでしょうが…。

とにかく、いまだに現役で
1年の3分の1ぐらいは、出張にいってる
宮内は凄い!です。

チョッキくんの編集後記

皆さんこんにちは!
チョッキくんです(^x^)!

宮内列伝がついに
最終回となりました…

「仕事をしながら旅をする」
という言葉を以前聞いたことがあり、、

「うわ!宮内シャチョウのことや!」

宮内シャチョウは、
今でも日本全国のお客様のところに、
飛び回っている姿がとてもカッコイイんですよ!

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